朝早く出すぎたので時間調整がてら、目的地東松山の手前にある名所「吉見の百穴」を見学。
吉見百穴は人がかがんで入れるほどの横穴が219箇所もあいている古墳時代末期の横穴古墳群で国指定史跡に指定されている。百穴構内は階段手すりベンチなど整備され木々も大きくなり昔訪れた頃と大きく様子が変わり別の場所に来た感じがしたが、
記憶というものはさらにおぼつかぬもので、山腹に大きなトンネルがあったとは記憶をたどってみても初めて見たとしか答えが戻ってこない。
吉見百穴の地下軍需工場跡
古墳群の中の山腹に地下軍需工場用に掘られた大きな三本の洞窟は、奥の横穴で繋がりほぼ500mの長さが公開されている。岩室観音
吉見百穴に入る道路の手前反対側に二階建ての寺の山門のような建築物が岩室観音で、観音堂の奥の急斜面の上は松山城の城跡がある。現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。岩盤に寄り掛かるように建てられたお堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいもの。
狭い階段を上ると二階が舞台のような造りになっており東松山方面の町並みが俯瞰できる、二階に観音様が祭られている。
岩室観音は江戸時代に比企西国三十三所の三番札所になっていたが、札所めぐりとしては「西国三十三所」「坂東三十三所」「秩父三十四所」が有名で、「比企西国三十三所」はそれほど知られて居らず現在残っているのは12箇所だけになってしまっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿